morimichi

もりみちブログ

2018年4月11日

マツの樹皮に残る傷跡


4月7日,植物調査で愛媛県愛南町沖の鹿島を訪れた際に,幹にV字の多数の切れ込みのある立ち枯れたマツを見た。この傷跡は松ヤニを採取した名残りである。
松ヤニからはテレビン油とロジンと呼ばれる天然樹脂が採れる。テレビン油は塗料の溶剤などに使用され,油絵の具の薄め液として知られている。ロジンは常温では黄色みを帯びた半透明の固体で,合成ゴムなどの原料に使用されるが滑り止めとして野球のロジンバックや弦楽器の弓の塗布に利用される。
古くはマツの樹脂が多い根の部分を肥松(こえまつ)と呼び,細かく割って束ねたものを松明(たいまつ)として神事や夜間漁業の集魚灯として用いられていた。
昭和16年12月,太平洋戦争が始まりすぐに南方の油田を確保したものの,戦況悪化とともに石油の内地への輸送が滞り,政府は石油代替えとして日本各地に豊富に生えているマツから油を精製することを決定し,「200本のマツから飛行機1機が1時間飛べる」との標語のもと国民の勤労奉仕によって全国でマツから油をとる作業を始めた。マツを伐倒して根を乾留する方法と樹皮から松ヤニを採取する方法の二通りがあったという。
西予市明浜町で古老が当時の様子を「大きなマツからは松根油をとった。男の青年団が鋸で松の幹に斜めに何段か切れ込みを入れ,タケの筒を樋にして下に小さなカンカンをつけると油がぽちぽちと落ちる。一晩でまあまあ溜まる。その油を集める作業は女子の青年団の仕事であった」と語ってくれた。
結局,飛行機の燃料とするための精製設備が不足しておりわずかな油しか製造できず,それも飛行機用としては使えるものではなかったという。
延べ4000万人とも言われる大量の動員によって,切り倒されたり傷をつけられたマツも膨大な数であったであろう。松の傷は70年以上もなお当時の苦難を残している。hmatsui


関連記事